犬日記

役に立つことは書かれていない日記

言葉の壁を越えて

太鼓チョコ

何の因果か再びイスラエルの地を踏み踏みし、昨日、またも無事帰国する事ができました。
日本からイスラエルには直行便がないので必ずどこかの国で乗り継ぎをしないといけないのですが、前回はアイスランドの火山が大暴れしている最中ローマの空港で、今回は南北情勢が緊迫する韓国で乗り継ぎという、自らトラブルに巻き込まれに行くような形を結果的に取ってしまい、飛行機の中ではドキドキしっぱなしでDSのゲームが予定より大幅に進みまくってしまいました。
どうしようもない恐怖から逃れるには現実逃避が一番だと思います。


前回に引き続き、東洋人が珍しいイスラエルの地では、ただ歩いていても、ただ買い物をしていても、ただボーっとベンチに座っていても、しょっちゅう話しかけられます。
そして私は今だ、単語を連発するレベルでしか英語が話せないので(しかも知っている単語がスタクラ時代に外人と罵り合って覚えた単語ばかりなので「damn」だとか「pussy」だとか「ass hole」だとか絶対人前で言っちゃダメと夫の人に厳しく禁じられているものばかり)嬉しいような悲しいような、そしてものすごく困ったような複雑な感情が入り混じるわけです。
決して見知らぬ人と話すことが嫌いなわけではないし、どちらかというと好き好き大好きな方だし、ソクラテス張りに屁理屈も達者だし、一休さん張りにトンチで切り抜けるのも得意なんだけど、それもこれも日本語ベースでの話であって英語とヘブライ語は圏外なんだよね!っていうか「このはし渡るべからず」って英語でなんていうんだろう?・・・というような長文をどうやれば相手に伝えられるのか。
アイコンタクトもジェスチャーも異国の地では限界があるのだなと、引退する千代の富士のような気持ちです。


そんな体験が続いていたので

「せめてこれがアメリカとかならなあ、もうニホンゴスコシな人にも出会えて話せるのに。FUJIYAMAとかGEISYAとかいえるのに。そもそもイスラエルなんて日本とほとんど関係がない国だし、どんな国でどんな文化でどんな人たちなのか、お互い知らないもんなあ」

なんて思っていたのですが、意外にもイスラエルの人たちは日本という存在を知っているようで、こちらが日本人だとわかると日本語の単語で話しかける人も結構いました。
音楽ショップのこわもてのお兄さんには「ARIGATO」、ビーチで歩いていると見知らぬおっちゃんから「KONITIWA」、ショッピングモールのフードコートには寿司バーがあるし、夫の人の職場のイスラエル人女子には「日本の女の子はみんなどうしてヴィトンを持っているの?」と質問されたり(あとかんぴょう好きの女子にどうやって作るのかも質問されたらしい)と、みんなよく日本の事を知ってるなあと感心させられることが色々とありました。
1番驚いたのは『ミハエル・ネグリン』というアクセサリーブランド店で買い物をしている時に、商品に対して思わず「これは可愛いねえ」と私が日本語で言うと、店員のお姉さんが

「『KAWAII』知っているわ、日本の女の子がよく言うキュートって意味よね」

と言ったことには驚きました。
ブランドコンセプトが、日本の女の子特有のイントネーションで発せられるあの「かわいい」を誘発するようなお店であったので、店員さんもそういうアンテナが敏感であったのかもしれませんが、それにしても有名な企業の名前とか挨拶やお礼、日本を代表するような食べ物の名前などの身近な言葉ならまだしも、可愛いを解するとは。
日本の女の子の可愛い文化はすごいのだなあと改めて驚く出来事でした。すごいぞイスラエル。すごいぞ日本の女子文化。


しかしいくら相手の言っていることがだいたいは理解できるとは言え、それに対して思いを伝えられないと言う事がこんなにも不自由だとは知りませんでした。
色んな人が親切にしてくれようとしている事に対して、自分の気持ちを「サンキュー」でしか現せないのは純粋に哀しい、そう思います。
きっと母国語が達者じゃない人もそんな風に感じているのだろうなと思うと同時に、いつもQBに屁理屈こねて言い負かした上、「QBは答えられなかったからトイレに行っちゃダメの刑」とか言って意地悪して正直すまんかったと大反省。
今後は、英語で刑の名前をスラスラ言えるまで、QBを苛めるのは控えようと思います。



チョコ写真。
久々に帰ってきたのが嬉しいのか、まとわりつくチョコの鼻をつかみ

「わー、チョコのお鼻は太鼓になってるね」

と、トントンされ迷惑そうなチョコ。
多分鼻の長い犬はみんなそうなのでしょうが、チョコの鼻先は軽く叩くとポコポンポコポンと太鼓のような良い音を奏でます。
いつもなら1回やられるとピューッと逃げていくのですが、今日は全く傍を離れようとしません。