危険なチョコ毛
昔に比べて長く家を空けることが増えたのですが、それによって改めて気づくことが多々あります。
自分の手の届くところにないとなると急に気になるというようなことは多岐に渡りたくさんありますが、やはり一番気がかりなのはチョコのことで、元気にしているだろうか、寂しくないだろうか、フガフガ寝ているのだろうか、とあれこれ考えてしまいます。
近くに住んでいる友達が平日は朝夜と、土日祝日には1日中家にいてくれるので、ひとまずの安心はしているのですが、そうはいっても遠い海外の空の下にいたりすると、すぐに駆けつけられない距離の遠さに、いらぬ心配をかきたてられてしまうものです。
イスラエルに長期滞在していた時など、床に転がる黒い物体を反射的に
「あ、チョコが寝てる」
と思い、触ろうとしたら、それは朝刊入れの黒い布袋だったということがあったのですが、いると思ったものがいない上に、あまりに自然すぎる「チョコ気配」を思い出してしまったため、急にホームシックになり
「いやだぁぁぁ、今すぐチョコのとこに帰る、うわーん」
と、夫の人を非常に困らせたこともありました。
写真などの直接的な物より、婉曲されたこの手のイメージの方が、より深いところにあるよりずっと強い意識の存在に気づくということなのでしょう。
かといって直接的な物も、それはそれであなどり難く、中でも最も危険なブツがチョコの毛、「チョコ毛」です。
柴犬は毛の抜け方が半端ないというのは、以前日記で紹介したかもしれませんが、抜けた毛は家のあちこちを侵食し、思わぬところに入り込み、ありとあらゆる場所にチョコの痕跡を残します。
具体的に例をあげるときりがないのですが、洋服に付くのはもちろん、靴の中にも、登山リュックの中にも、飲みかけの紅茶の中にも、電子機器類を分解した中にも
「どないして入ったんじゃあ!」
と思うような場所に毛がいるのです。
そんなもんですから、遠く離れた場所で何気なく読んでいる本のページをふとめくった瞬間、チョコ毛を発見した日にゃあ、「いやだぁぁぁ(以下略)」が始まりよろしくないのです。
犬を飼うと身が不自由になることは覚悟していましたが、心も不自由になるのは想定外。
遠い場所からフガフガ眠るチョコを想い出すたびに、この先も一生「飼わないとわからないこと」を教えてくれるんだろうなあと思うのです。
チョコ写真。
夫の人の背中でくつろぐチョコ。
どういうわけから昔から、誰かに甘やかされていると
「ふふん!どう?いいでしょ!」
みたいな表情をします。
落ち着け私、相手は犬、相手は犬、…と自分に言い聞かせはするのですが、どうしてもむかつくので、この後チョコの両ほほをみにょんとひっぱって
「た〜てたぁて、よ〜こよぉこ、ま〜るかいて、ちょん♪」
とやってやりました。ふふん!